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2021.10.16 更新

「ファミコン必勝本」のメモ


ページ内リンク(ショートカット用)

手元にあるヒッポンの一覧表(仮)   田尻氏の連載関連について   その他の田尻さん関連の記事   国会図書館に未所蔵の件について  



はじめに

1988年〜1991年頃の「ファミコン必勝本」のバックナンバーを20冊程入手したので、
以前からサイト内でヒッポンに触れたメモとか、 田尻氏の連載関連(サイト内リンク)の一部をこちらに移動し、
連載時の『パックランドでつかまえて』の大半や『電脳遊戯日記』などをページ作成後にzegaoさんから頂き、
ページ全体がとても充実した内容となり、ここにお礼申しあげます。

任天堂のファミコンが不動の存在であった1980年代半ばを経て、メガドライブやPCエンジンなどの他社ハードが登場し、
後継機であるスーパーファミコンの発売前情報や発売後の反応等を誌面から確認できる1990年前後のゲーム業界は、
個人的にも興味深いことから、表紙と目次をスキャンした画像有の私的な目録も作ろうか考えている今日この頃。


手元にあるヒッポンの一覧表(私的メモ)

Vol通号発売日備考
「ファミコン必勝本」
1988年11月4日号Vol.21581988年10月21日
1988年11月18日号Vol.22591988年11月4日 ベニー松山『隣り合わせの灰と青春』連載最終回
1988年12月2日号Vol.23601988年11月18日
1989年3月17日号Vol.6671989年3月3日 #67(DQ4) 『ドラクエW』発売前の座談会に出席
1989年5月19日号Vol.10711989年5月2日 『田尻のパックランドでつかまえて』連載最終回
1989年6月2日号Vol.11721989年5月19日 #72(脚注) 『クインティ』の紹介記事
1989年6月16日号Vol.12731989年6月2日
1989年7月7日号Vol.13741989年6月16日
1989年7月21日号Vol.14751989年7月7日 #75(脚注) 田尻智×山下章 対談
1989年8月4日号Vol.15761989年7月21日 #76(脚注) アレクシィ・パジトノフ来日
1989年9月14日号Vol.18791989年9月1日 『ぼくがゲームをしている場所』連載スタート
1989年10月6日号Vol.19801989年9月14日
1989年10月20日号Vol.20811989年10月6日
1989年11月2日号Vol.21821989年10月20日 #82(脚注) ウィザードリィ×通信ケーブル
1989年11月17日号Vol.22831989年11月2日
1989年12月1日号Vol.23841989年11月17日
1990年8月17日・9月3日号Vol.16・171011990年8月3日 ※この号以降、隔週発行から月刊化に
1990年10月19日・11月2日号Vol.20・211031990年10月5日 #103(脚注)  発売迫る スーパーファミコン
1990年11月16日・12月3日号Vol.22・231041990年11月2日 #104(脚注) 「ファミコン必勝本」最終号
「ヒッポンスーパー」
1991年2月号No.21061991年1月4日? #106(脚注) 田尻インタビュー掲載
1991年3月号No.31071991年2月4日
1981年4月号No.41081991年3月4日


脚注

通号72 クインティの秘密を解説しよう(14〜16ページ)

同誌ではライター・評論家としてお馴染みの田尻氏が制作した『クインティ』がナムコから発売されるということで、
特集記事が組まれ、田尻氏のコメントも多数確認できる。

なお、次号(通号73 / 6月16日号 / 18〜21ページ)と次々号(通号74 / 7月7日号 / 26〜27ページ)で、
山下章氏が「新作ゲーム徹底紹介 ホット・ゲーム・スキャナー」のコーナーで『クインティ』を紹介している。

通号75 特別対談 山下章×田尻智がクインティを語る(44〜45ページ)

田尻氏率いるゲームフリークが制作した『クインティ』の発売を記念して、山下章氏と対談を行っている。
ゲーム業界の問題をはじめに、ゲームの良し悪しは編集がカギを握ることについて話した流れで、
クインティの制作に影響を与えた映画『フリークス』の話題となり、
ゲームフリークという名前の由来であるこの映画の登場人物や人間そのものへの興味について話している。

また、次回作についての山下氏の質問に対し、ポケモンとジェリーボーイを匂わせる発言を残している。
※ もしくはポケモン以前に考えていたキノコ図鑑から影響を受けたRPGかもしれない。
サイト内リンク: その構想について話す2007年2月発行の雑誌「CONTINUE」Vol.32

山下:この次のゲームの予定は?
田尻:RPGとアクションが同時進行中です。

※ 2017年出版のムック 「蘇るファミコン必勝本」(Amazon)にも同記事が掲載(44〜45ページ)。
サイト内リンク:田尻さん関連書籍のページに戻る

通号76 アレクシィ・パジトノフ氏来日記念インタビュー
「テトリス」の原作者・ソ連より来たる!! 『私とテトリス』(14〜15ページ)

前述した「蘇るファミコン必勝本」(47〜48ページ)にも再録されたテトリスの作者のインタビュー記事。
インタビューの時に出版社の前で撮影された記念写真に田尻氏が写っているのを確認。

通号82 

「ウィザードリィ友の会」よりゲームボーイ版の通信機能を予想する読者投稿が掲載(サイト内リンク)

通号103 スーパーファミコン 私はこう予測する

渡辺浩弐「市場性を予測する」(47ページ)、田尻智「ソフトについて予測する」(48ページ)のコラムをはじめに、
メーカー・必勝本スタッフ・読者からのアンケートを基に発売前のスーファミを分析した記事(45〜50ページ)で、
とみさわ昭仁と杉森建の一言コメントも確認できる。

通号104

・座談会「テレビゲームの過去・現在・未来を語る」田尻出席(p26〜31)
・コラム「ファミリーコンピュータとその時代 個人的な体験」 田尻(p46)&杉森(p49)&とみさわ(p52) それぞれ寄稿

通号106

田尻インタビュー「ゲームライフの達人」(サイト内リンク)


田尻氏の連載関連について

田尻のパックランドでつかまえて    ぼくがゲームをしている場所    田尻の電脳遊戯日記   ▲トップへ

はじめに

とりあえず現時点で筆者の分かる範囲内で、表を作成しました。
どれも読み応えがあるので、気が向いたら少しずつ紹介していこうかなと思う今日この頃。


『田尻のパックランドでつかまえて』

「ファミコン必勝本」1988年6月3日号(Vol.11)〜1989年5月19日号(Vol.10) 通号48〜71 全22回

号(Vol 通巻)タイトル(1行目)
リード文(2行目)
備考
第1回1988年6月3日号 (Vol.11 通号48) 73 スペースインベーダーの青春物語
1978年、スペースインベーダーの夏
*1
第2回1988年6月17日号(Vol.12 通号49)71 ギャラクシアンの青春物語
ギャラクシアンの宇宙に流れる星…
第3回1988年7月1日号(Vol.13 通号50)71 恐怖のスピーク&レスキュー
深夜のゲームセンターの叫び声!?
第4回1988年7月15日号(Vol.14 通号51)91 クレイジークライマーの青春物語
その晩、僕はカノンを30回聴いた。
第5回1988年8月5日号(Vol.15 通号52)83 米国最新ゲーセン情報(番外編)
アメリカじゃまだまだ元気なパックマン!
*2
第6回1988年8月19日号(Vol.16 通号53)83 走れ!ハイパーオリンピック
これが噂の秘密兵器!涙のスーパーテクニック!
第7回1988年9月16日号(Vol.18 通号55)83 ギャラガと友情
江の島-夏の終わりとギャラガの思い出。
第8回 1988年10月7日号 (Vol.19 通号56)73 ゼビウス烈伝(その1)
9,999.990点! ゲーム台は悲鳴をあげた!
*3
第9回1988年10月21日号(Vol.20 通号57)75 ドルアーガの塔(前編)
宝箱の謎をめぐって、熱い戦いが始まった!
第10回1988年11月4日号 (Vol.21 通号58)75 ドルアーガの塔(後編)
天才ゲーム少年と謎のダンボール箱!!
第11回1988年11月18日号 (Vol.22 通号59)91 ゼビウス烈伝(その2)
ぼくのゲーム雑誌と思い出のゼビウス
第12回1988年12月2日号 (Vol.23 通号60)79 ゼビウス烈伝(その3)
謎のゼビウス星出現!?その噂と真実
第13回1988年12月16日号(Vol.24 通号61)79 ゼビウス烈伝(その4)
夜空にゼビウスの星はきらめいて…
第14回1989年1月6日号(Vol.1 通号62)77 ゼビウス烈伝(その5)
偉大なるゲームデザイナーとの出会い
第15回1989年2月3日号(Vol.3 通号64)90 ゼビウス烈伝(その6)
ゼビウス――美しくそして懐かしいゲーム・ミュージック
第16回1989年2月17日号(Vol.4 通号65)91 ゼビウス烈伝(その7)
彼女は言った。「私の横でルイージをやって……」
*4
第17回1989年3月3日号(Vol.5 通号66)91 マリオブラザーズ(その2)
ゲームが始まると二人の息はぴったりあった……
第18回1989年3月17日号(Vol.6 通号67)91 ギャラガ'88
帰ってきたギャラガ、帰ってきた友達。
第19回1989年4月7日号(Vol.7 通号68)91 ゲームセンター(その1)
深夜のゲームセンターの灯が消えた日…。
第20回1989年4月21日号(Vol.8 通号69)91 ゲームセンター(その2)
ゲームフリークたちのラスト・ナイト・カーニバル。
第21回1989年5月2日号(Vol.9 通号70)91 涙の最終回(その1)
彼は世界で一番不幸なゲーマーだった……?
第22回1989年5月19日号(Vol.10 通号71)91 涙の最終回(その2)
謎のゲーマー「チャンプ」……その正体は?
最終回

概要(単行本版との違いなど)

JICC出版局より1990年に単行本化された田尻氏自身のゲーセン体験を回想した最も有名な連載コラム。
「連載された作品に加筆・修正を加えたものです。」(2002年の新装版 204ページ参照)と単行本でも触れてあるように、
雑誌連載時のものと比べて、書籍化された際に大幅に加筆修正が行われたことが確認できる。

脚注(表内の備考)

*1 第1回目のみ、"-極私的ゲーム進化論-" というサブタイトルが付けられている。

*2 アメリカのゲーセン事情をレポートした第5回は単行本未収録である。

*3 次号の第9回(88年10月21日号)が連載G、第10回(88年11月4日号)が連載Hと、連載回数のずれを確認できるが、
第11回(88年11月18日号)は連載Jと正しく表記され、以降連載のナンバリングの表記も元通りとなる。
なお、第8回の『ゼビウス』1000万点を達成した少年の話は単行本では 第10回(「ゲームフリーク」制作)と第11回(ゼビウス星の噂)の間に挟まれている。

*4 第15回(89年2月17日号)のタイトルが「ゼビウス烈伝(その7)」となっているが間違いで、
この回(前編)では『マリオブラザーズ』(1983年 任天堂)を扱い、単行本版と内容が大きく異なっている。

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『ぼくがゲームをしている場所』

「ファミコン必勝本」1989年9月14日号〜12月1日号?  vol.18〜23?(通号79〜84?)


号数ページタイトル備考
第1回1989年9月14日号(Vol.18 通号79)20 B級ノリの成功作って潔くてかっこいい。
『スプラッターハウス わんぱくグラフィティ』(ナムコ)
第2回1989年10月6日号(Vol.19 通号80)20 ゲームで遊ぶことはまったくの孤独にはならない。
『レーサーミニ四駆ジャパンカップ』(コナミ)
第3回1989年10月20日号(Vol.20 通号81)13 ゲームでなければできない夢があり、嘘がある。
『MOTHER』(任天堂)
第4回1989年11月2日号(Vol.21 通号82)13 「どうしてアイドル(偶像)なんかになりたいのさ?」
『アイドル八犬伝』(トーワチキ)
第5回1989年11月17日号(Vol.22 通号83)13 イメージをかきたて続けるのも、楽じゃない。
『甲子園』(ケイ・アミューズメントリース)
第6回1989年12月1日号(Vol.23 通号84)15 ベーシック、シンプル、簡素、原点、テトリス。
『テトリス』(ビー・ピー・エス)

概要

とりあえず6回分確認できたが、1989年12月15日号(通号85)の誌面にはコラムが掲載されてなかったことから、
いつまで連載されていたのかは現時点で不明。


※ 加筆修正予定

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『田尻の電脳遊戯日記』

「ヒッポンスーパー(HiPPON SUPER!)」1991年1月〜12月号 全12回?

ページタイトル
第1回1991年1月号125これが僕の日常なのです…
第2回1991年2月号125トータルリコールとTVゲーム…
第3回1991年3月号125腰にくる毎日が続きます
第4回1991年4月号125ジェリーボーイよろしく!
第5回1991年5月号125やっぱり健康が一番、だと思う
第6回1991年6月号125熱海に行くなら秘宝館
第7回1991年7月号68お金のないゴールデン・ウィーク
第8回1991年8月号68ゲーム新時代への予感
第9回1991年9月号68真のメガドラ通とは…
第10回1991年10月号68たまには、オールナイトでね…
第11回1991年11月号68有線放送を引こう!
第12回1991年12月号68AMショーに行ってきたよ

概要

91年当時の田尻氏の日常が分かるコラムで、連載終了の告知とかはなかった気がする。

※ 加筆修正予定

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その他の記事のメモ

実際の誌面を筆者が確認してない記事も一部ありますが、いくつかメモを兼ねて紹介。

ショートカット用(ページ内リンク)→ ドラクエ4発売前の記事  ドラゴンクエストWマスターズクラブについて


ドラクエ4発売前の記事

「ドラクエW 25周年! 発表から発売までを振り返る:むかしのゲームのこと。」(アーカイブ参照)を通じて、
確認した田尻さん関連の記事をピックアップし、以下の略称が記事内で使用されている。
※ DQ→ドラゴンクエスト、GM→ゲームミュージック

1989年1月6日号(通号62)88年12月16日発売 89年Vol.1

DQシリーズ次回作を考える(12〜13ページ)

CB成沢、田尻智、ベニー松山、ハルク(編集部)の4名によるドラクエWを予想した座談会記事。
この時点では発売すらまだ決定してないが、馬車システムや仲間キャラクターの登場の仕方などを的中させている。

また、手塚一郎のコラム「私論、DQシリーズ。次回作を予想する…」も13ページに掲載され、
ダンジョン(洞窟など)の再利用を予想していて、「コーミズ西の洞窟」や「アッテムト鉱山」などで採用されている。

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1989年2月17日号(通号65)89年2月3日発売 89年Vol.4 

「DQIV発売決定記念対談 すぎやまこういちVS田尻 智」(14〜16ページ)

特集「ドラゴンクエストW マスターズクラブスペシャル」の一つとして、
ドラクエシリーズの音楽を担当したすぎやまこういち氏との対談記事が掲載。
※ 記事内の小見出し×10は以下の通り。

ドラクエの音楽はこうして作られる  GMの作曲家には何が必要なのか
作り直しなんてこともあるのだ    DQシリーズで印象深い曲
今だから言えるDQV音楽ウラ話   注目のDQW 音楽のテーマは
基本コンセプトはどう変わるのか   DQWは新しいスタートだ
DQWの音楽のバリエーション    曲数はとても多くなりそうな予感

ドラゴンクエストWマスターズクラブについて

今回取り上げた「ファミコン必勝本」の読者投稿コーナー 「ドラゴンクエストWマスターズクラブ」は書籍化され、
1991年にJICC出版局より発売。→ Amazon 
これまでの読者投稿を中心に構成された同書では、堀井雄二(90年vol.5、vol.6)、中村光一(89年vol.8)、
すぎやまこういち(89年vol.4=上記で取り上げた田尻氏との対談)の過去の同誌での開発者インタビューが再録され、
中村光一氏とすぎやまこういち氏のインタビューは同書では90年とページ下に記載されているが、
89年の間違いかなと。(堀井氏へのインタビューは発売直前のものなので合ってる)

また、今回紹介した"W"以外にも、以下の2冊が単行本化されている。(1988年と1994年にそれぞれ発行)
「ドラゴンクエスト3マスターズクラブ」(Amazon)  「ドラゴンクエストマスターズクラブスペシャル」(Amazon)

参考: ドラクエ用語まとめwiki「ドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜ!!」

1989年3月17日号(通号67)89年3月3日発売 89年Vol.6

発表後あらためてDQWを考える(12〜13ページ)

大堀康祐、CB成沢、田尻智、ハルク(編集部)の4名による座談会が2月10日に行われ、
本作の目玉であるAIシステムについて、誌面全体の半分(1ページ=前半部分)を割いた構成となっている。
後半からは新モンスター(ドラゴンライダーについて主に)、定価、発売時期などをそれぞれ予想している。


国会図書館に未所蔵の件について

東京・永田町にある国会図書館には「ファミコン必勝本」は残念ながら所蔵されてません。(2023年春時点)

個人的には、もし雑誌を現在所持していて仮に処分する場合は古本屋やオークションサイトではなく、
次世代へのゲーム文化保存の為に国会図書館に資料を寄贈してほしいなぁと思う今日この頃です。
蔵書構築 資料の寄贈について|国立国会図書館―National Diet Library(外部リンク)

※ ヤフオクとかに数十冊セットで出品されていることがあるので、 お金に余裕のある人が購入して寄贈することも可能(他人任せ…)



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